ABOUT ESCOBAR

パブロ=エミリオ・エスコバル=ガビリアは、1949年12月1日に生まれた。彼の父親は畜産業を営み、母親は教師だった。彼の幼少期は貧困と共にあった。彼と6人の兄弟は電気も水道も通っていない家で育った。10代で車や墓の窃盗を始め、二十歳の時にもっと多くの金を稼ぐために始めた密輸の仕事が、誘拐などのより深刻な犯罪へと手を染めるきっかけとなる。それが麻薬取引へと繋がっていく。「私は若かった」とエスコバルは振り返る。「私はただ生きたかった、そして野心にあふれていた。麻薬密輸については何も知らなかった。ある時、私はメデジンのディスコで若い米兵に出会った。彼は飛行機を持っていて、コカインを買いたがっていた。私はある決断をした。彼と取引を始めたんだ。リスクはあったが、とにかく儲けになった。そして、誰も殺す必要がなかった。これは私にとって実に重要なことだった」
パブロ・エスコバルが本格的にビジネスに着手するようになったのは、1975年のことだ。その翌年、彼はコカイン18キロの所有により逮捕されている。釈放されると、エスコバルは本腰を入れ始める。コカインをタイヤの中に隠し、ミュール(麻薬を密輸するために外国から運び屋として雇われる素人旅行者)の効果的な使用法を開拓していく。大金がどんどん入ってきた。彼は徐々に麻薬貿易の主導権を握るようになり、それまでの権力者たちを買収し、必要ならば抹殺することも厭わず、その世界で台頭していった。80年代の初め、メデジンのカルテルを完全掌握する。1982年、彼は国会議員補欠に選ばれるが、その他の議員の反対によって除籍され、敵対者へのテロを敢行する。

エスコバルは誰も恐れない──彼にまつわる神話はこうして形作られていった。1989年、大統領候補者3人の暗殺を実行。同年、世界7番目の富豪にまでのぼりつめる。彼のビジネスは1年で30億ドルを超す利益を生んだ。エスコバルは500以上もの家屋や病院、学校を建設した。そうして、彼の富に助けられた者たちはエスコバルを神と崇めるようになっていった。だが、他の人にとっては、彼は恐ろしい犯罪者だった。エスコバルが関与した殺人は1000を越え、エスコバルのネットワークはペルーからボリビアにまで達し、米国、ヨーロッパ、アジアの市場を席巻した。最盛期には、彼の組織は一日15トンに及ぶコカインを輸出していた。1991年、米国への引渡忌避を条件に、エスコバルはコロンビア政府に合意して個人用の豪華設備を備えた刑務所に収監された。この刑務所施設自体がエスコバルの寄付により建設されたもので、サッカー場やディスコが備えられており、エスコバルは刑務所内から今までどおり組織に指示を与え、外出しては買い物やパーティー、サッカー見物を楽しんだ。翌年、エスコバルは脱走し、暴力の新たな波が巻き起こる。“ロス・シカリオス”と呼ばれる彼の殺し屋は 3000人に達したと言われている。その年、6662人もの人がメデジンの路上で殺され、何百人もが失踪した。CIA、FBI の協力のもと犯人捜査に取り掛かり、2000人以上の警官や兵士が捜査に関わった。1993年の12月2日、エスコバルは特殊部隊により射殺され、数万人の人が葬儀に参列した。1995年、彼の組織は消滅した。2009年、エスコバルの息子、フアン=パブロ(のち、セバスティアン・マロキンに改名)が、父の犯した罪を償うためドキュメンタリー映画『わが父の大罪 麻薬王パブロ・エスコバル』を発表。今日でもエスコバルの墓は崇拝の場であり、多くの観光客が訪れている。

麻薬王エスコバルの仰天伝説